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Yuta Niwa
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丹羽 優太

Yuta Niwa

1993年神奈川県生まれ。京都造形藝術大学大学院ペインティング領域修了。
北京留学後、京都を中心に活動中。日本絵画の文脈、技法材料を用いながら、人々には見えない厄災、抵抗できない力が常に黒い何かに見立てられてきた歴史に着目し作品制作を行う。

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ichimaiKYOTO

ART PRINT

「狐狸化合戦」

「狐狸化合戦」

丹羽優太が“ichimai”のために描きおろした、オリジナル作品。​昔から物語としてある「狸と狐の化かし合い」を題材に、丹羽らしさ​を感じさせる要素が細かく描きこまれた作品。​世界で争いやいざこざが続く中、戦い自体のむなしさや滑稽さをユーモアと遊び心で包み込む。作品では浮世絵で使用されている「空摺(からずり)」の技術を取り入れた現代版版画とも言える表現。​

¥19,800税込 配送料無(※北海道・沖縄は¥1,500)

*売上の一部はアーティスト及びアート関係者に還元されます

SIZE
A3
CONTENTS
ポスター、フレーム、特製ブックレット
BUY

作品

見るほどにストーリーが広がる。

花札、布、酒器、描かれているモノたちがひとつひとつ意味を持ち、
ストーリーを感じる1枚。

LOOK INTERVIEW

作品

浮世絵に習う「空摺」。

登場する動物たちの輪郭や布には、浮世絵でいう「空摺(からずり)」、
現代のエンボス加工を用いて凹凸をつけ、
平面の中でも立体感を感じさせるしかけを施した。

作品

“丹羽優太”描き下ろし。

京都 光明院(東福寺塔頭)での襖絵奉納をはじめ、アート業界の中でひと際注目を浴びる、画家 丹羽優太が“ichimai”のために描き下ろした、ここにしかないオリジナル。

ABOUT PRINT

フレーム/保管用パッケージ/ブックレット

フレーム/保管用パッケージ/ブックレット付

作品がすぐに飾れるようにフレーム付きの納品。また、パッケージは保管用にも使用できるフラットタイプ。アーティストや作品をより楽しむため、1作品ごとに特製ブックレットも付録。

Interview with.
Yuta Niwa

INDEX

  • 1.作品のコンセプトについて
  • 2.アートの道を志すきっかけ
  • 3.作品制作について
  • 4.ichimaiの作品について

作品のコンセプトについて

今回のichimai作品「狐狸化合戦図」について、コンセプトを教えてください。

何を描こうかなと結構悩んだのですが、今回の作品を描くにあたって、画材提供で上羽絵惣(京都にある日本最古の絵画屋)さんにご協力いただけるということがあったので、上羽絵惣さんのシンボルである狐を題材に何か描けたら面白いなというのを、なんとなく思っていました。
それを元に、「狐と狸の化かし合い」っていう日本にある伝統的な昔話が浮かんできて、すごい面白い話でもあるので、今回はそれをコンセプトとして絵にしました。

丹羽 優太 インタビュー画像1-1

この話も地域によって色々バリエーションがあったりするんですが、今回ではこの絵に出てくる狐の親が、猟師に化けた狸に騙されちゃって、痛い目にあうという話。狐の子どもは仕返しのために、“化かし合いの遊びをしよう”と狸に持ちかけます。
狐の子どもが「自分が大名行列に化けるから、今度この道を通るとき見に来てくれ」と言うと、まんまと見にきた狸が、「なんてすごい大名行列なんだ」と興奮して行列の前に出ていってしまう。するとそれは狐ではなく本物の大名行列で、目の前に出てしまった狸は捕まってしまう、というストーリーです。

なので、今回の作品の中でも、僕が描いた狐は親が騙されたときの「猟銃」の服、狸は「大名行列」の風呂敷をそれぞれ身に着けたり、持ったりしています。
もしかしたら、絵にいるのは子どもではなく、もっと後の世代の狐と狸なのかもしれませんね。ずっと過去を背負って、化かし合いで遊んでいるっていう…
どういうストーリーかは、見る人の想像に委ねてもいいかもしれません。

一枚の絵の中に、色々な要素が楽しめますね。

動物の周りには、僕が普段使っている画材や、今まで書いてきた絵とか、お酒とか。
ichimai(写真化学)さんの源流でもある、花札とかも散りばめています。
化けていないのですが、様々な道具を使いながら化け合戦をしている、みたいなイメージです。
僕は絵の中に昔の絵を入れたりもするのですが、散らばった紙の中に描いてある狐は河鍋暁斎(江戸後期~幕末の浮世絵師)の絵が元だったりします。

丹羽 優太 インタビュー画像1-2

見ようによっては、不安定な世界情勢の “いざこざ” をユーモアに描いているようにも。

元の物語的にも、化かし合って両者が結局のところ痛い目見たりとかしていて。これが物語になっていること自体、昔から「そういうことをするものじゃない」という教訓があったからだと思うので。そういう意味では多少、世の中の争いなんかの滑稽さみたいなものは意識して描いたようなところがありますね。

日本画は作業工程が多いと聞きますが、今回の制作工程を教えてください。

まずは、「大下絵」って呼ばれる、原寸大の下絵を描きます。
完璧に色とかは入れず、最初は鉛筆とかで下絵を一枚描きます。最後の線は濃い墨で一回入れて、それをこの描いた和紙の下に入れるとうっすら見えるので、それを元に、もう一回、「骨書き」って言って、全部線だけで描いていきます。
その後に、色を一つずつ選んで入れていって、色付けをして、最後に背景の色を染めています。背景だけに入れたいので、それ以外は隠して、クルミとかヤシャっていう木の実を煮た染料を、口と道具を使って、全体にかけて背景に色をつけます。なので、背景の色は紙の色じゃないです。狐とか狸のお腹のところが、本来の紙の色になります。

インプットの方法はどのようなことをされていますか?

例えば、旅行先で図書館に行ったり、資料館に足を運ぶこともあります。その土地の面白い話を見つけられたりとかします。
あと、神社でそういう縁起とかを見て調べてみたり、展覧会を見たりとかはしています。いつも意識してインプットしているわけじゃないですけど、普通に過ごしている中で見つけたりとか、外に出た時に何か見つける…みたいなことは多いかもしれないですね。

丹羽 優太 インタビュー画像1-3

  • 2.アートの道を志すきっかけ

アートの道を志すきっかけ

子どものころは、どんな子でしたか?

自分ではあんまり覚えていないですけど、絵を描くのは好きでした。
コピー用紙に常にいっぱい落書きしていたりとか、小学生の頃はアトリエ教室みたいなところで自由に工作をしたりとかをしていて、楽しかった記憶があります。
レゴで遊んだりとか、何かしら作るのが好きだったかもしれないです。

アートの道を選んだのは、どのタイミングですか?

高校生ですね。
それまで全然アートの方向に行くとも思ってなかったですし、僕はどっちかというとずっと建築とか、家を建てたいと思っていました。

なので、理工学系の普通の建築に行こうと思っていたんですが、高校の時の美術の先生が面白い先生で、東京藝大の日本画出身の人だったんです。美大っていう場所があるのも知らなかったので、「そんな道があるんだ」と。
僕は普通の高校の、一応進学コースみたいなところにいたのですが、高校2年生の時にそのクラスを降りて、普通の一般コースの、その美術の先生が担任しているところに入れさせてもらいました。それでずっとデッサンしたりとか、美術部にも一応入っていたので、そこから文化祭の何かをいろいろ作ったりとか…をずっとしていましたね。

進学する上でどこのコースにしようかなとずっと悩んで、建築もいいけど、他も面白そうだなと。いろんな展覧会を見に行ったりする中で、「日本画ってこういう世界なんだ」っていうのを知っていって、ちょうど長谷川等伯とか伊藤若冲とか、いろんな展覧会がある時期に見に行って「やっぱかっこいいな」、「見ていて面白いな」と思って、せっかくデッサンもやっているので、このまま行こうと思って日本画の世界に入っていった感じですね。

丹羽 優太 インタビュー画像2-1

ご家系にアート系の方はいらっしゃったんですか?

ゼロだと思いますね。
曾祖父に料理人がいたかなぐらいで、あとは本当に普通のサラリーマンとかですかね。本当に絵描きとか、ものづくりの人はいないですね…

  • 1.作品のコンセプトについて
  • 3.表現の源流について

表現の源流について

伝記とかは好きだったんですか?

日本昔話のアニメを昔やっていたと思うんですが、あれの本が家にあったんですよ。小さいころにそれを何度も読んでいて、原体験になっているかもしれませんね。
ディズニーとか、3匹の子豚もたくさん見ていました。
浮世絵とかも、昔の話からそれをまたオマージュして絵にしたものがたくさんあるので、かなり共通点はあるなとは思います。

丹羽さんは大きい動物を描かれることもありますが、これも原体験があるんですか?

やっぱりナマズとかオオサンショウウオを描く中で、「何かかっこいいな、面白いな」って思うのは、たぶん小さい頃にゴジラとかガメラとかそういったものが好きだったことが原点としてあると思います。今も、家にいっぱいおもちゃがあります。

黒くて大きい生き物ってかっこいいじゃないですか。
そういう単純にかっこいいなとか、面白いなとか、かわいいなとか、そういうものがきっかけとしてはありますよね。
その上で、より絵としても面白くしていけたらなと。

丹羽 優太 インタビュー画像3-1

“かっこいいもの”を意識されているんですね。

今の世の中、様々なアート表現があると思うんです。デザイン的なものもあれば、すごいコンセプチュアルで抽象的なものもあって、どれも別に良い、悪いとかではなくて。
その中で僕自身が引きつけられるのは、まず見て「面白いな」「なんかかっけえな」って思うものです。
例えば日本画とか、400年前のスタイルを見ても何の言葉もなしにかっこいいわけですよ。すげえなっていう、圧倒的に“くる”ものがあって、自分の表現もそうでありたいっていうのは、常に思っていますね。

なんでこの絵になったんだろうっていう内容の部分がさらに面白ければそれもいいと思いますが、僕の場合やっぱり絵で見て「なんだろうこれすごい」「面白いな」「かっこいいな」ってシンプルに興味を持ってもらいたいんです。
その後に、作品説明だったり言葉で、「だからこうなんだ」っていうのをより深く知ってもらえれば、それが一番いいなと思っています。

丹羽 優太 インタビュー画像3-2
大鯰瀑布図(2018年)

丹羽さんと言えばオオサンショウウオが代表的ですが、描くきっかけは?

昔から生き物が好きだったのですが、学生時代に水族館に行って初めてオオサンショウウオを見て、「なんだこれ!」と思って。とてもでかいじゃないですか。
ネットでも知らなかったし、見たこともなくて。
そんな馴染みが全然ない中で見て、面白いなと思って、描き始めました。

江戸時代の画家が虎や象の絵を描くときに、見たことないけど人から聞いたり、文献で見たり、自分の持っている知識の中で想像で描いていたんです。
例えば虎だったら、日本には猫がいるから、多分猫を参考にしたりしていて可愛らしくなってるのが多いんですけど、そんな感じで必死にリアルに描こうとはしてるけど、なんかちょっと違うなみたいな…でもなんかそこにリアリティがあって、っていうのが面白いなと思いました。
そういう想像の中からのアウトプットができるんじゃないかと、オオサンショウウオを見たあとに思いました。
なので、あまりデッサンとかもしないで描き始めましたし、はじめは災害との結びつきもありませんでした。
ただ、描いている中で色々調べていくと、岡山県で10メーターぐらいのオオサンショウウオがいて、人とか牛を食べてたという話があって、調べるとおそらく水害の継承として物語があって、そこから災害と生き物が置き換えられているというところにすごい興味を持ったというのが流れになります。

僕にとってはオオサンショウウオやナマズっていう、黒い得体の知れない何か、という存在が、何かを伝えようとしていたり、象徴しているみたいなものをテーマにしています。

丹羽 優太 インタビュー画像3-3
大鯰列島図襖絵(2019年)

丹羽さんは日本画の伝統的な技法をいろいろ使われていますが、きっかけは?

大学2年生の時にスイスに留学に行っていたんですが、それまでは結構、写実的な動物を描いていました。でも、留学の時に「日本画って何?」ってみんなに言われるわけですよ。その時、僕はあまり日本画をよく分かっていなかった、答えられなかったっていうのがすごいあって、もう一回勉強しなきゃなと思って。そこから知識面もそうですし、描き方、金箔、和紙のこと墨のこと、いろんな素材のことをもう一度勉強しなきゃいけないなっていうので、描き始めたのが3年生の後半くらいです。
その時に初めてオオサンショウウオみたいな生き物を描き始めたりとかもしました。

丹羽 優太 インタビュー画像3-4

自分の中でブレイクポイントはありましたか?

大学を卒業して中国に留学したんですが、コロナで戻ってきて、光明院さんとの出会いがあって個展の話をいただき、初個展を光明院でしたんですよ。
それまで仕事や依頼のようなものはほぼなくて、絵で生活できるような状態ではなかったんですが、この「鯰の光明(2021年/光明院)」っていう初個展から、色々なご縁ができて少し生活できるようになったっていう感じはありますね。

光明院で襖絵も30枚奉納されました。今後の展望を聞かせてください。

楽しいことをしたいですよね。
今のところは楽しいことができていると思っているのですが、自分の中で楽しいというか、描いても飽きないでいて、自分もワクワクするようなものがしたいし、海外でもやりたいですし。あと、美術館とかでもいつか何かできたらいいなとかっていうのは、夢としてはありますね。
お寺の仕事も、今後もいくつかありがたいことに決まっているので、それと現代美術のようなところでも発表したりとか、両輪でできると面白いです。
現代美術、日本画、両方にとって面白いなという気は自分ではしているので。

丹羽 優太 インタビュー画像3-5
光明院襖絵(2025年)

お寺で絵を奉納されるときに意識されることはありますか?

僕はもともと、その場所で何をやるかとか、この地域で展覧会するなら何をするかとか。その“場所”がとても大事な起点になることが多いです。

だから、やっぱりこういうお寺という場所だったら、この空間だったら何をすべきなんだろうとか考えて描きます。

蔦屋書店さんでの展示(キメラ流行紀/2023年/京都 蔦屋書店)では、TSUTAYAの由来になっている、蔦屋重三郎いうプロデューサーが、写楽と歌麿のプロデュースをしていたので、2人の浮世絵作品をオマージュして描いたりしました。

  • 2.アートの道を志すきっかけ
  • 4.ichimaiの制作について

ichimaiの制作について

ichimaiの制作はどうでしたか?

完全に初めてではないですけど、こうやって自分の絵が印刷物として作品になるというのは、どうなるんだろう?と思っていて、最初はもっと、作品と印刷物を切り離した方がいいのかなっていう気もしていたのですが…色を全然変えちゃうとか。でも、結局そのままいこうということになりました。

仕上がりを見ると細かいところまで艶があるところがあったり、エンボスが入っていたり、そういうのは日本画の材料だけではできない部分だったりするので、すごく面白かったです。

丹羽 優太 インタビュー画像4-1

日本画って基本的に岩絵の具をたっぷり使わない限りとてもフラットな画材が多い中、今回は墨とか粒子が細かいものを使っているので、その上で布のマテリアル感とか発色をもうちょっと出せたらって思っていました。
校正段階からやりとりするうちに、徐々に本物に近いような発色で出てきて、「すごいこれ、自分が描いたやつかな」と思うくらい。本当に印刷が綺麗だなと思いました。

浮世絵の技法を、今回のichimaiの制作でも使うことになりましたね。

浮世絵というのも日本画の一つなのですが、その中に空摺(からずり)という技法があって、それに似たことを今回のichimaiの制作でもやっていたりして。
エンボス加工で服の模様などを立体的に見せたりしているんですが、これも新しい特別なことというよりは、昔からある日本美術の技法を、今の技術で再現できている感じがして、すごくいいなと思いましたね。

丹羽 優太 インタビュー画像4-2

ichimaiを手にされた方にコメントをお願いします。

僕は日本美術日本画っていうものをずっとやってきて、技法としては古く、伝統があるものを、何百年と先に残るような方法で描いているんですが、だからといって別に古いものと思ってやってるわけじゃないです。そういう伝統的な技法を使いながら、現代とどう繋いでやっていくのか、というところを描いていて。
やっぱり日本画ってそういうものも含めて面白いなと、僕はすごい好きなんですよ。

丹羽 優太 インタビュー画像4-3

だからこういった絵をきっかけに、日本画ってどんなものだろう?とか興味を持ってもらって、「日本画って面白いな」と興味が広がってくれれば、なお嬉しいなと思います。

  • 3.表現の源流について